今の日本はあらゆる社会問題を抱えているけど・・・子育て・親子問題を切り取ってみると、閉鎖的な日本の文化がもたらした闇の本質が見えてくるね~~~
そんな現状を変えたい光が溢れる人たちが集まっていて、素晴らしい会だったね!
Contents
親ありき日本をこえる~コエール~とは?
親ありき日本をこえることを目指して、ソーシャルアクションを起こします。
誰もが生まれ育った環境に縛られることなく未来を切り開けるように、親を頼れない子どもたちの存在を発信するべく生まれた“Coyell”。実際の声を聞いて、親ありき日本をこえる仲間になってください。
(コエール公式サイトより引用)
親が頑張らなきゃいけない。
・・・本当に?
親がいれば幸せ?親がいなければ不幸?
それって・・・苦しくない?
7月21日に行われた【親ありき日本をこえるコエール2019】には500名近い人が参加。
親に頼れない境遇を経験した若者(イルミネーター)、親に頼れない子どもたちへ具体的な支援をしている支援活動家(アクティビスト)による登壇や、
社会活動や子供支援で活躍している方々によるパネルディスカッションなどが行われました。
親を頼れない境遇からの体験記。若者たちの生の声から見えてくること
親がいなくて施設で生活してきたけど、いい大人や仲間に恵まれてずっと幸せに暮らしていた。だけど、パスポートを申請しようとしたとき壁にぶつかった。未成年でパスポートを取得するのに、親以外で誰に同意のサインをもらえばいいのか、パスポートセンターの人に「分からない」と言われた。
なぜ制度やルールがないのか?施設で育つ子どもはそんなにも珍しいのか?
自分が社会の中で居ない者として扱われている気がして、悲しかった。
母子家庭でずっと母親から暴力や束縛、虐待をされてきた。何度も児童相談所に保護してもらうチャンスはあったのに、そのたびに「親のしつけの範囲内」とみなされて守ってもらえなかった。本気で自殺しようと思った高1のとき、里親家庭に委託されてやっと生きられた。
母のことは許せない。けど、責任感が強くなんでも背負い込む母は、一人で私を育てるために必死に働いて追い詰められていたと思う。
虐待はその家庭だけの問題じゃなく、それをさせてしまう社会全体に責任があると思う。
学校でいじめられ、家では兄にいじめられていた。クラス全体から嫌がらせに遭ったとき、堂々と声をあげて味方になってくれた同級生がいて、そのたった一人の味方がいたことで自分は救われた。
けど、その同級生が急に引っ越して知ったことは、彼自身が父親の虐待に悩み、父親から離れるために母親と兄弟とともに引っ越しすることになったのだということ。
言えない・知らないだけで誰もが深い苦しみや悩みを抱えていることもあるんだと知った。「他人に興味を持つ」それだけでも誰かの役に立てるのかもしれない。
他の兄弟が可愛がられている中、兄弟の中で自分だけが親から虐待されていた。
「自分が悪いんだ・出来損ないなんだ」と思っていたが、児童養護施設に保護され「生きていてくれてありがとう」「あなたには幸せになる資格がある」と言ってもらえて、安心できる居場所ができた。
今は居場所があって幸せに生きることができている。誰にでも幸せになる資格がある。
児童養護施設から高校受験に落ちてしまったら、施設を出て働かなければならない。そんなプレッシャーの中、親権者のサインがもらえない自分はインフルエンザの予防接種を受けることができず「もし受験のときにインフルエンザになったら?」と不安でいっぱいだった。未成年は働くのにも一人暮らしをするのにも、保護者の同意やサインが必要。
親に頼れない子どもは、他の子どもにとって当たり前のこともさせてもらえない。「仕方ない」で終わらせないでほしい。
学校でいじめられ、家庭ではいとこから性的ないじめをされた。
母は病気で体が弱く、いじめられていることを母にも誰にも打ち明けることができなかった。
認知されていないいじめは、たくさんあると思う。
親の虐待や喧嘩、そして死。崩れていく家庭環境の中で過ごし、甘え方や頼り方がわからなかった私は、施設の人にもずっと冷たく接していた。
施設を出て働くようになり、職場の人の温かさに救われた。
生きづらい人に対して歩み寄ってくれたり、自分をさらけ出してくれる人がいることで安心できる。甘えること・頼ることの大切さを伝えていきたい。
私の親も生活することで精いっぱいで子どもに無関心だったので・・・いじめられていたことを、親に打ち明けることができませんでした。
先生に話したことでいじめがエスカレートしたこともあったので、学校の先生も信じられませんでした。
貧乏だったので習い事などはできず学校以外の居場所はないし、コミュニケ―ションに障害を抱えていた両親には友人がおらず、近所づきあいもない・・・そんな逃げ場も居場所もない・分からない状況が小中学校と続きました。
友達がいない・いじめられている、頼れる大人がいない・・・そんな状況の子どもは世の中に少なからず存在するんだよね。
自分の意思で生活環境を変えられない・どうすればいいのかを知る由もない子どもにとって「親に頼れない」状況は、生命を脅かすほどの恐ろしさを感じる状態だと思う・・・。
社会全体が、周りに頼れずに追い込まれやすい文化・環境になってしまっていると私は思います。
【親を頼れない子ども】のすぐ裏には【誰を頼ればいいか分からない親(大人)】がいる。
そう思うと、「虐待する親が~」とか「いじめが~」とかその問題だけを切り出して、ニュースや話題にあげても根本的には何も解決できないよね・・・。
当たり前が当たり前じゃない人たちへの支援。支援活動家の声
親に頼れない子どもたちに対して、具体的なアイデアとアクションを提言・実行する人=アクティビスト(支援活動家)。
今回のコエールでは、児童養護施設出身者へ成人式の振袖や袴の撮影を通した支援~ACHAプロジェクト~を行っている山本昌子さんが登壇。
(画像はACHAプロジェクト公式サイトより)
自分自身が児童養護施設出身者である山本さんは、経済的な事情から成人式に振袖を着られなかった経験から、同じ事情や経験をしてきた子ども・若者たちに振袖・袴の前撮り・後撮り撮影のボランティアを行っています。
そしてその活動・撮影を通して「生まれてきてくれてありがとう」「あなたは大事な存在」と、自分の存在や人生を肯定できるような思い出・出会い・メッセージを伝え続けています。
親御さんや親戚縁者の方々からのお祝いとしての プレゼントやあるいは支援してくださる方のいる環境は、本当にとても素晴らしいことだと感じています。 児童養護施設を卒業したばかりで、成人式を迎えるとなると、そのハードルは非常に高く負担が重くのしかかり、その費用の高額さに諦めざる得ないという現実が突きつけられてしまいます。
このプロジェクトの代表である私自身生後4か月から児童養護施設で育ちました。
成人式には振袖を着れないということもあり諦め欠席しました。前撮りも諦めていました。
周りの大人の方々からは「成人式行っておいでよ」など沢山のお声掛けをいただきましたが、私自身は「興味ない」と口では言っていました。でも本当は行きたかったというのが本音でした。
そんな中ある知人の方が、「少しでも自分は大切にされる存在だと思って生きてほしい」と費用を全額サポートしてくださり後撮りをさせていただくことができました。
諦めていた私にとってこの経験がとても嬉しく生きる勇気とへと繋がったと感じています。この経験がプロジェクトを行うきっかけにも繋がりました。この感動と感謝を次に繋げたい…自分が体験した感動だからこそ、この喜びを多くの同じ境遇の方々にも感じてほしい、そう考えています。
親御さんや、親戚縁者にお祝いしていただける
皆さんも「当たり前」でないことを理解していただけたら嬉しいです。(ACHAプロジェクト公式サイトより引用)
だからって自分も何かをしなきゃいけない、ってことじゃないと思うけど・・・。
こうして「当たり前が当たり前じゃない」ってことを知って、自分の今の状況に感謝したり、そういう人がいるんだって目を向けるだけでも、きっと見える世界が変わってくるよね。
今より優しい支え合える社会ができるんじゃないかなぁ。
社会で子どもを育てるには?親がいなくても生きていける社会・居場所づくり
パネルディスカッションでは、社会活動家の湯浅誠さんがファシリテーターをつとめ、教育機関や子育て支援団体で活動をしている4名のパネリストが登壇。
「社会で子どもを育てるには」をテーマに、ディスカッションが行われました。
出ていた意見
・日本は子育てにおいて、「親の責任論」が強すぎる
・親の介護をしていると「大変だね」と同情されサポートを求めやすいのに、子育てでは「親がやらなきゃ、ちゃんとしないと」と責められがち。子育てで休んだり手を抜くことは悪のように捉えられる。
・親子関係や一つの家庭で完結・完璧にすることは難しい
・一見幸せそうに見える家庭でも「親がいるのに孤独・孤立を感じる子ども」「家庭に責任を閉じ込められて疲弊し、閉塞感や孤独感を抱える親」がいる。表在化していないだけで、グレーゾーンの家庭は多いのではないか?
・「お互いさま」ができなくなった現代社会
・完璧じゃなくていい。親がいなくても生きていける社会・居場所をつくることが大切。
パネリストの方々は、それぞれ子育て支援・虐待防止・里親家庭支援、養子縁組支援、全国から多様な生徒を受け入れる高等学校、お寺を使ったこども食堂や学習会の運営など・・・子どもとその親たち、そして社会に貢献する活動をそれぞれに行っています。
小さな単位(独り・一つの家庭)でなんでも抱え込まずに、もっと誰もがオープンになって、大変なことを少しずつ分け合えたらいいんじゃないかなぁ?
でも、共通する悩みや問題を共有し合えば「自分だけで頑張る・解決する」という閉塞感は少なくとも緩和されるのでは?
グループ、地域、社会。みんなで全体を見て、お互いに自分にできることで協力し合って、辛いところは助けてもらって、できるところでお返しをしていく・・・
そんな縁や恩が巡る社会にしていけたら、きっと子育ての問題も子育て以外の問題も、少しずつ軽くなっていくのではないかと思います。
ソーシャルアクション~一箇所に責任を押し付ける社会からオープン・シェアの時代へ
・「虐待する親=完全な悪」と捉えるのではなく、虐待が生まれる社会の実情に目を向けることが大切なのではないか?
・子どもたちが「親がいるか/いないか」という状況に縛られずに、地域や社会で多くの人と関わりながら未来を描けるような環境・活動・つながりづくりが必要
・親や大人たちが「全部自分でやらなきゃ」という孤独・孤立に苛まれないように、大人にこそサポートやケアが必要
・親子問題に限らず、日本人の「責任の押し付け感」「我慢」を解放してオープンに悩みや問題をシェアし合えたら、個人も社会ももっとラクにシアワセになれるのではないか?
子供の頃の私のことを、今でも自分でかわいそうだったと思います。けれど、周りとのつながりがつくれずに抱え込んでいた両親のことも、今はかわいそうだと思っています。
「もしあの頃に、頼れる大人がいたら・・・?」「安心できる居場所があったら・・・?」
そう思うからこそ、そういう場所が増えていくことを願っているし、私も自分にできることを続けていきたいです。
完璧を目指すから、完璧じゃない自分を責めて追い詰めてしまう。
これからの社会は、もっと人と人が分け合って助け合って、力を合わせて支え合う社会にしていきたいよね。
だからこそ、そういう活動をしている人たちに「自分の悩みを打ち明ける」ことも一つの貢献の形なんじゃないかと私は思います。
抱えている悩みや問題は、誰かに知ってもらうことで初めて表在化させることができる。
問題が何かが分かるからこそ、解決方法を考えることができる。
自分のことで精いっぱいな人や、悩みを抱えて苦しんでいる人は、ひとりで抱えずに相談できる場所を探してみませんか?
Coyell終了後から2か月間、署名活動、寄付活動、ボランティア参加など、アクティビストと共に親ありき社会をこえる仲間を集め、社会全体で子どもたちを育むために行動します。
(コエール公式サイトより)
コエール(Coyell)では、ソーシャルアクション(社会活動)をともにする仲間を募集しています。
閉塞的だった組織・社会から、人間関係も問題ごともオープンにフラットに共有する時代へと、社会が変化してきているのを感じます。
自分ができることで誰かの役に立って、自分ができないことは誰かの力を借りる。
そんな思いやり支え合える社会がこれから創られていくといいなと思います。
このレポートは、コエール2019へのイベント参加を通して私個人が感じたこと。
読んでくれた方にとってこの記事が、少しでもコエールや社会活動に興味を持つきっかけになったなら嬉しいです。
*I for me♡マイセルフケア看護~あなたはあなたのために。私は私のために*