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いい人や好かれる人でいたい、という幻想
「人から嫌われるのは、怖い」
「できることなら、誰からも好かれる人でいたい」
・・・そう思っていませんか?
少なくとも、私はそう思っていた。
物心ついた頃からいじめられ、子どもの頃から人間関係は苦労の連続だった。
おかげで人の感情に敏感になり、どうすると人から嫌われやすいか・どうすれば好意を持ってもらいやすいか、考えて行動するようになった。
自分がされて嫌なことは、相手にしない。
自分がされて嬉しいことを、相手にする。
そうすると相手が喜んでくれるし、自分も幸せを感じる。
それが”普通”で幸せなことだと、最近までずっと思っていた。
嫌な人=その人にとって不快な人。価値観は十人十色
ずっと「普通はこうだ」「こういう人がいい人だ」「こういうものが幸せだ」という価値観の中で生きてきた。
それが当たり前だった。
でも、そういう”いい自分”でいても、決して全員に好かれるわけじゃない。
そんな自分を良く思わない人も嫌う人もいる。
”いい行動”を取っても、喜ばない人もいる。
”嫌な人”というのは結局、”自分にとって不快な人”。
だからどんなにその相手が客観的に見て”いい人”でも、別の誰かにとっては”嫌な人”になることもある。
それこそが当たり前なのに、「さすがに常識的に考えたら、こうでしょ?」って知らぬ間に”自分の当たり前”を誰かに押し付けていたかも・・・。
「優しくしてくれるのについていけない自分が悔しい・・・」
「いつも怒ってきて、本当に意地悪な人・・・」
結局、”今の自分にとって受け入れられないこと”をしてくる人に対して、人はネガティブな感情を持ってしまうんだよね。
嫌な人や体験こそが、誰かを成長させるきっかけになる
たとえば、嫌な先輩がいていつも意地悪をされていた。
でも「悔しい!絶対に認められたい!」と思って頑張っているうちに、その先輩を追い抜いて上司に評価されるようになって、気づいたら職場の人気者で出世もしていた。
たとえば、大好きだった恋人に振られて大失恋をした。
でも「悲しい!どうして?!絶対にイイ女になって見返してやる!」と思って女を磨いているうちに、元彼とは比べ物にならないくらいの素敵な男性と付き合うようになった。
そのときは相手を嫌な人だと思うし、嫌な体験だと感じる。
だけどその嫌だった体験が、あとから見たら成長のきっかけや糧になっていた・・・ということは、実はたくさんある。
でも、”自分にとっていい人だけ”と関わって生きてたら、もしかしたらその環境から出たときに「今までの常識が通用しない」「自分は世間知らずだったの?」と思い知らされるかもしれない。
ずっと狭い価値観で完結してしまって、人として成長する機会を失ってしまうかもしれない。
もし「この人が言ってることは理不尽じゃない?」「これって私が悪いわけじゃなくて、当てつけだよね?」と感じるほど嫌な人に囲まれて生きているなら、別の環境に飛び込んだらびっくりするくらい優しくされて、すごく幸せを感じられるかもしれないよね~
誰かにとって嫌な人になることが、結果として相手のためになることもある。
人は結局、自分で経験してみないと分からない生き物だ。
嫌われたっていい。他人にどう思われても、まずは”ありたい自分”でいること
「あの挫折があったお陰で、私めっちゃ成長したなぁ・・・」
って。そのときは嫌な経験でも、あとから発見があったり、役に立ったりするんだよね。
実はいい人でも嫌な人でも、誰かの役に立ってるし幸せに貢献してるんだよね。
結局は、経験をどう自分に活かすかが大事なんじゃない?
無理して相手を好きになろうしたり、いい人でいる必要はないんだよなぁ。
嫌な人を恨み続けるのも、成長の糧にするのも、すべては自分次第。
そう考えるとイヤな人も存在していいし、(誰かにとって自分が)イヤな人になってもいい。
昔はそんな文化があったけど、今はそんな思いは手放してもいい”時代”になってきた。
最初は怖くても、私は”素直に生きて、ありたい自分”になっていきたい。
そして自分を嫌う人や合わない人からはできるだけ離れて、自分に合う好きな人と生きていきたい。そしてきちんと、自分が愛せる自分・自分を信頼できる自分でありたい。
私はそう思うけど、あなたならどうしたいですか?
何を選ぶのも、誰と生きていくのも、結局は自分次第。
あなたは今まで、どんな人に囲まれて生きてきましたか?
これからをどんな自分で、どんな人と一緒に生きていきたいですか?
*I for me♡マイセルフケア~あなたはあなたのために。私は私のために*