「実の親がいないなんてかわいそう」
「子育ては、実の親がするのが当たり前」
全部がそうじゃなきゃいけないの?
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”親ありき”という固定概念に縛られてきた、日本の社会
先日、知人から7月21日(日)に開催される【親ありき日本をこえる-コエール-】というイベントに招待された。
実の親による子育てが当たり前であるという考えのもと、日本の社会制度や価値観はかたちづくられています。そのため、そうした社会の中で、親を頼れず、社会からも守られずにいる子どもたちがいます。
親を頼れない子どもたちは、親ありきの社会の中で制度に悩まされたり、周囲と異なることで孤立を深めたりと生きづらさを感じています。
子どもは親を選ぶことができません。それなのに、親を頼れないが故の不公平さや不条理さを「運が悪かった」と諦めるなんておかしい。諦めない大人たちが力を合わせ、いまとみらいの子どもたちに向けて共同の(Co)応援(Yell)を発する場が、コエール(Coyell)です。
「家庭」という単位が日本の子育てを閉じ込め、苦しめるようになった
少し前までの日本は、大家族が当たり前だった。
何世代もの親族が共に暮らし、近所づきあいも当たり前にあった。
そんな環境の中での「子育て」には、自然と多くの人が同時に関わっていたはずだ。
お金を稼いでくれるお父さんに、誰もが感謝をする。
お父さんやお母さんが疲れていたら、おじいちゃん・おばあちゃん・子どもたちが家のことを分担してやる。
世話好きの近所の人が、余った食材やおかずを持ってきたり、子どもたちと遊んでくれる。
そんな時代には、なにもかもが“ほどよく分け合えていた”と思う。
でもいまは、核家族が当たり前になった。
それなのに「家事や育児を一緒に住む家族・実の家族でやる」という慣習だけが残された。
そして気づけば、少ない家族構成の中で妻・母である女性が多くを背負いこむ構図ができた。
夫婦共働きが当たり前になり、夫と同じだけ働いているにも関わらず・・・”おかあさん”に求められることやかかるプレッシャーは、減らないどころか増え続けているように思う。
今の日本には、親に子どもを愛するだけの余裕がない
【コエール】のお誘いをいただいてとても考えさせられた。
イベントの主旨とはズレるかもしれないが、私は「子どものことは愛しているが、守るだけの余裕がない親が日本中に溢れている」のではないかと常々思っている。
両親ともに人とのコミュニケーションが苦手。経済的に余裕もない家庭。
私は大人になって10年以上経って「自分の親は、愛情がないのではなく愛する余裕がなかった」「元々感情が希薄な人たちだった」のだと、当時の親の状況を理解しました。
愛情も教育もまともに注がれず苦しんだけれど、自分の親にとってはそれが精いっぱいのできることだったのだと。
毒親といわれる人たちが、自ら望んで毒親になったのかといわれたら、きっとそうなるだけの環境要因があったんだと思うんです。
もし、実の親が不器用で愛情を注げないオトナだったとしても、周りにそれをフォローしてくれる他の大人が関わってくれていたら?
その親たちに心の余裕ができ、子どもたちも多くの大人と関わることで広い視野を持って育つことができ、もう少し良好な親子関係を構築して幸せな子供時代を過ごすことができたのかもしれない。
だから、今の世の中に足りないのは”つながり”なんじゃないかなぁ。
「実の親だから〇〇しなきゃ」とか「他の家は関係ない」とかじゃなくて、声をかけ合える関係性を広く持つことができたなら。
血のつながった家族でも、そうじゃなくても、大きな円で捉えたら家族。
そんな社会が再生したら「あれもこれもやらなきゃ」っていう世のお父さん・お母さんの苦しい固定概念をもっと解放できるんじゃないかなぁ。って私は思うんです。
かつて私の親が我が子を愛する余裕がなかったように、今は社会全体に余裕がない。
みな、自分の生活で精いっぱいだ。
好きなこと、得意なことで補い合うつながりづくり
誰にでも、苦手なこともあれば得意なこともある。
愛していてもパートナーを大切にできない人もいるし
愛していても子育てが下手くそな親もいるし
愛しているから家事が完璧にできるわけじゃない。
仕事も家庭も完璧になんて、この忙しい日本でできるほうが超人だと思う。
人に何かを教えるのが好きな人、世話好きな人、
そういう他人が近くにいて、
お互いに得意なことと苦手なことを補い合えたらいいのになぁ。
夫婦喧嘩や親子のすれ違いも減るかもしれない。
ストレスが減って幸せが増えて、病気が減るかもしれない。
家庭という単位が幸せに満ちていたら、学校や仕事もより楽しめるようになるよね。
そんな「幸せな個人・家庭」同士が増えたら、社会の健康度も幸福度もきっと上がっていくね・・・!
実の親と子でたくさんの愛情を渡し合えたら、もちろんとても幸せなこと。
でも、血がつながっててもなくても愛情や信頼で結ばれる関係があっていい。
実の親が傍にいてもいなくても、子どもが幸せに成長していけばいい。
「もっと、家族の概念を広げてもいいんじゃないか?」と私は、強く思う。
生まれ育った環境に縛られることなく、未来を切り拓ける社会へ
【コエール】は誰もが生まれ育った環境に縛られることなく未来を切り開けるように、親ありき日本をこえることを目指して、ソーシャルアクションを起こしていく活動。
子供時代に自分の未来が閉ざされていたからこそ、同じような思いをしてきた人の話や、今の子供たちに起きている現実を知りたいと思っています。
7月のコエールでは、社会的養護とそれに近い経験をしている若者がスピーチをされるそうです。
でも、実際自分に余裕がないのに、無理に”支援を”と頑張る必要はないと思うんだ。
まずは自分をきちんと満たすこと。
そして苦手なことに無理をして周りに手を出そうとせず、自分が得意なことやできる範囲で、ほんの少し身近な人に貢献すればいい。
少しでもそういう活動をしている人や子どもたちに目を・心を向けることができたら、それで十分なんじゃないかな?
つながりが分断された社会で、人と人が適切な距離感で、支え合って暮らせる社会を取り戻していけたらいいよね。
目を向ける・考える。それだけで思いやりの心は広がるから。
まずは、自分にできることをしていきたい。そう思います。
【親ありき日本をこえる、コエール】参加してきました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*I for me♡マイセルフケア~あなたはあなたのために。私は私のために*