その”頑張り”は誰のため?貢献に生きた人生の崩壊
今までのわたしは、SNSやウェブメディアで、たくさんのメッセージを「読んでくれる人」のために発信してきた。
人の架け橋として周りの人の活動を紹介したり、
ネガティブな出来事も、視点を変えることでポジティブに変えられることを伝えたり、
自分のいい面も悪い面も「大事な経験・エピソード」として武器にして文章に変えて届けてきた。
そう、読んでくれる「誰か」のために。
「自分のことが書いてあるみたいで心に沁みたよ」
「あなたの文章に励まされてるよ」
「あなたの言葉や行動に勇気をもらってるよ」
わたしは人を励ましながら、自分を励ましていた。
だからもっと”頑張らなくちゃ”・・・
そんなに頑張らなくてもいいじゃん?
どうしてそんなに人のために頑張っちゃうのかな、”わたし”は?
誰かの役に立てると自分も嬉しいから?
でも・・・幸せだけど・・・何か違うのかな・・・?
頑張って、誰かの役に立てて、周りの人から感謝されて、自分のことを認めてもらえて肯定してもらえて・・・わたしはとても幸せだった。
そう、思っていた。
そんな日々の中、ふっと苦しくなった。
元々わたしは娯楽に興味がなく、物欲がない人間だ。
最小限の暮らしでも、あるもので幸せを感じられる。
貢献欲が強く、周りの人が喜んでいることで自分も幸せを感じる。
少し前までは、それに疑問を感じなかった。
とてもとても幸せに包まれていたから。
けれど多くの人に自分の存在を知られるようになり「見られている」という意識、
なんでも困りごとや頼まれごとが舞い込んでくる「駆け込み寺」な自分の立ち位置、
そして人生を激変させる宿命の人・ツインレイとの出会いから始まった、魂の修行。
わたしの小さな心の器は、あるとき粉々に砕けた。
そして、それまで築いてきた「自分の価値観」という常識も崩れ去った。
コンセプトは「自分軸」と「自己承認」~崩壊からの再構築
人のために生きてると他人軸になって、そのうちしんどくなっちゃうよ。
あなたは、もっとワガママになっていいんだよ。
最近、周りの人からよく、そう言われるようになっていた。
うつ病で一度は「死んだ」と思った人生から這い上がったあと「この先は人生のボーナスステージ。これからは恩返しと貢献で生きよう」と決めてから、8年もの歳月が経過していた。
うつ病で崩壊して再構築した人生から長い年月を経て、今再び崩壊が起きている。
それは悲しいことではなく「家が古くなっちゃったから、新しいピカピカの家に建て替えようよ♡」という前向きな試練のように感じる。
苦しみ真っ只中の今は、絶賛苦しいけどな?(笑)
”我がまま(われがまま)”・・・わたしのままで、ありのまま?
ありのままの自分ってどんな自分だろう???
わたしは今、自分の内面ととことん向き合い、潜在意識の奥に眠っていた自分を呼び覚ましている。
わたしは家庭環境が原因で、子どもの頃から自分を押し殺して生きていた。
だから人一倍、自分の欲求が分からない。
自分のことしか考えていない「自己中心的」と、自分のことは自分で満たす「自己肯定」は違う。
自分を過信して周りが見えない「自己満足」と、自分をきちんと信頼する「自己承認」は違う。
自己否定や自己犠牲を手放してもっと自己肯定したいし、
他者承認がなくても自分を満たせる自己承認をしたい。
自己承認ができれば人は、一番幸せな「自己実現」のステージに行き着く。
そのためには「本来の自分で、素直に生きる」「自分らしさに気付き、それを発揮していく」ことが必要になる。
それこそが「自分軸」の確立。
自分の軸がきちんと整っている人は、他人に流されず、かつ頑固ではないしなやかな芯を持てるはずだ。
自己理解・自己開示・自己表現~すべての鍵は「自分」の中に
自己主張を抑えて生きてきた日本人には、それってなかなかの無理ゲーだよね(笑)
自分軸のつもりでも「ただの自己中」だったり、「他人の基準が自分の基準」だと思い込んでしまってる場合もあるじゃない?
まぁね。
だから幸せになる手前で、みんな「自己理解」と「自己開示」の壁にぶち当たってもがいてるんだよね(笑)
「誰かのために」を一度手放して、まずは「自分自身のために」生きること。
それは最大の自己貢献であり、自分が満たされていることは最大の他者貢献にもつながる。
自分を徹底的に理解して、自分に素直に生きるために、わたしは今自分自身と向き合っています。
あなたは今まで、誰のために生きてきましたか?
これからを、誰のために生きていきますか?
*I for me♡マイセルフケア~あなたはあなたのために。私は私のために*